2010年4月7日水曜日

ブログを移転します!

申し訳ありませんが、諸事情により、ブログを移転することになりました。このブログは残しますが、今後は(http://yoshimura- masatatsu.at.webry.info/)で更新を続けたいと思います。


今後ともどうぞよろしくお願いします。

2010年3月23日火曜日

国からの脱出と帰国子女

古代ローマの平民は王侯貴族の暴政に対してローマ市を出ることで抗議の意を示した。しかし、今日同様のことを行うのは難しい。たとえできたとしても、異国 の地で生計を立てるのは容易ではないし、異なる言語、文化、風俗慣習の壁は常に付きまとう。その点で、海外での生活に慣れている帰国子女は有利である。帰 国子女は沈没船ニッポンと運命を共にする必要はないし、そうならない能力も有している(?)のだ。
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この頃就活を意識し始め、鬱になるような記事ばかり見てきたので、せめてもの慰めとしてこれを書いてみました。

でも、まあ危機こそチャンス!と言われることおあるし、まずはできる限り日本で頑張ってみようと思います。

もちろん、異国の地で生活するなんて帰国子女であっても容易ではないのでしょうが、第2の故郷があるという感覚はやはり安心できます。

先日台湾から帰ってきてそう感じました。

学費の節約とお金の使い道

国立大学の学費は私学のそれに比べれば安い(年約54万円)。しかし、自活している私にとっては大きな負担であることにかわりはない。そんな私にとって、 以下のニュースは朗報である。授業料を免除してもらえれば、節約したアルバイト代は貯金にまわせる。そして、いずれは貯めたお金で日本を回ってみたいと考 えている。
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まあ、まずは大学周辺を征服することから始めようかなw

愛国心と愛郷心

日本の愛国者は、「国」(郷土)としての日本を愛しているのか、あるいは「国家」(政府)としての日本を愛しているのか。たぶん、ほとんどの場合は前者だ ろう。だが、往々にして両者は混同される。私たちが国家に服従し、貢献し、犠牲を払うのは、それが郷土を守る手段であるからであり、その目的に反する国家 の命令に従う必要はないのだ。このことを忘れてはならない。

割に合わない法曹志願

私は法曹になりたい。しかし、最近「リスクが高すぎるのでは」と感じている。仮に18歳で大学に入学し、22歳で卒業したとしよう。そこから法科大学院に 進学して24歳で卒業するまではいいが、もし3回連続で司法試験に失敗すれば(5年間で3回しか受けられない)、立派な27歳の司法浪人が誕生してしま う。新卒至上主義の日本では負け組確定である。
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でもね~、私裁判官になりたいんですよ。罪を犯した人は有罪で罰し、無実の人は救済する。「正義」って痺れますよね~。

まあ、それはともかくとしても、法曹以外に興味をある業界なんて今のところないしね。

日本の厳しい労働環境から逃避するなら外資系企業かもしれないけど、20代後半、しかもずっと勉強しかしてこなかったような人間を採用してくれるとは考え にくいし。

あとは今流行り(?)の「海外脱出」か。自分なら台湾で生活するとかならやってけそうだ。

ともかく、法曹の夢が破れた時に備えて退路を残しておくことは必要でしょう。そのためには、今のうちから情報収集なり、いろんなことを体験するなり、やっ ておくべきでしょう。

2回生になって就活や自分の将来のキャリアとか考えるようになったこの頃です。

ヘッドスライディング・アピール

日本の高校野球選手は一塁上でヘッドスライディングを行う。明らかに間に合わない場合でもそうだ。たしかにヘッドスライディングしたほうが駆け抜けるより は若干速い。しかし、その分怪我をする確率も高くなる。それでもヘッドスライディングをするのは、仲間や観客に自分の一生懸命さをアピールしたいからなの かもしれない。
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では、なぜ危険を冒してまで一生懸命さを周囲に示したがるのか?もしかしたら、「こんなに頑張ってる(ふりしてる)んだから、もし失敗しても許してちょ」 というある意味積極的な自己防衛手段なのかもしれない。アリバイ作りとも言えるだろう。そして日本の世間はそれを容認し、評価し、ときにはそれを強制す る。「一生懸命やる姿」に一種の美学を見出しているのかもしれない。怪我をしてまで一塁を狙おうとした選手は悲劇の英雄を演じ、観客はそれに涙するのであ る。

もちろん、怪我してまで一塁をとるのか、あるいは無理せず次の打席でホームランを狙うのか、どちらが長期的には効率的であるかはいうまでもない。

そして、生産効率性が再重視される今日、情緒的な日本人はより理性的な欧米人・他のアジア人に競り負けるのである。

そんなに日本人が演劇好きで豊富な感性を持っているのなら、ビジネスではなく、音楽芸術文学で世界を席巻しましょうよ。オタク文化とか、ギャルゲーとか、 ラノベとか、まさに良い具体例でしょ。あ、もしかして私、日本の未来見つけちゃったかもw

では、文化立国ニッポンばんざい!

言論の自由とその責任

台湾では、どの新聞記事にも取材・執筆を行った記者の名前が明記されている。一方、日本では、記者の名前を見かけることはめったにない。そのため、記事に 問題があったとき、その責任は新聞社全体へと分化され、結局だれも責任をとらないという事態になってしまっている。言論の自由とは本来それに付随する義務 (責任)を負うことで初めて認められるはずなのだ。