2009年9月15日火曜日

無知は罪なのか?

「無知は罪」ということわざがある。ここでいう「無知」とはつまり、ある物事(たとえば日本社会)の利点や欠点を含めた理解が不十分であるであるというこ とだろう。そして、それが「罪」に値するのは、そうした物事に潜む問題を改善し、よりよくしていくということを無知が妨げてしまうからなのだろう。確か に、どんな行動を起こすにも情報は必要であるし、問題を改善しなければ人間社会の進歩もまたあり得ない(進歩の定義や、その是非は別とする)。

しかし、果たして本当に「無知は罪」なのだろうか?確かに、社会全体の進歩という観点からすればこのことわざはあっているかもしれない。しかし、個人の観点からみれば、無知はむしろ善なのではないだろうか。

たとえば、私は今まで帰国の大学受験に際していやというほど日本社会が持つ問題点(雇用、教育、社会福祉…)について学んできた。その結果、私には常に物 事を批判的に見るという悪習慣が身についてしまい、日本社会の「問題点」を発見するたびに不快感を感じてしまうようになった。もし私が日本社会のあり方に ついて学んでなければ、身の回りのすべてを当たり前のものとして無邪気に過ごすことができたであるはずなのだ。しかも、今の私には不快に感じる日本社会を 変える力はないし、今後もそうした力は身に付かないかもしれないのだ。

そうすると、私にできるのは、自分の感性を変える(今あるすべてをあるがままとして受け入れる)か、日本から亡命するしかない。いずれをとるにせよ、私は大損である。よって、個人という観点からすれば、知識を持つことこそが罪で、無知であることこそがよいことなのだ。
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…以上が私が理屈で考えてみた結果であるが、自分自身としてもどうもしっくりいかない。だが、これをどう論理的に論破していけばいいのかもまたわからないのである。

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